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Amazon jp Open Orders restorer | 「未発送の注文」を復活 - Chrome ウェブストア
リリース
2021/09/07
概要
Google Chrome拡張機能。
Amazon.co.jpの「注文履歴」から消えた「未発送の注文」タブを復活させる。
担当領域
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Amazon jp Open Orders restorer | 「未発送の注文」を復活 - Chrome ウェブストア
2021/09/07
Google Chrome拡張機能。
Amazon.co.jpの「注文履歴」から消えた「未発送の注文」タブを復活させる。
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Mildom Happybukuro Blocker - Chrome ウェブストア
2021/04/11
Google Chrome拡張機能。
Mildomのコメント欄に出る「ハッピー袋ありがとう!」を非表示にするだけ。
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新年を迎えた時点で書きたい内容は決まっていたが、諸事情でタイミングがあんまりよろしくなかったために一旦書かないことにしていた。もう3月だけど、これを2021年の書き初めブログとしよう。
人生を諦めることにした。
自分の人生に可能性を感じない。どう転んでも成功する未来が見えない。
これはね、「ネガティブ」ではなくて、状況をありのまま捉えているだけだ。
私はずっと自分の生まれ持ったものに逆らって生きてきた。物心がついたときにはすでに疲れ切っていた。どうしてだろう、「はぁ、疲れたなぁ」と毎日思っていた。もうゆっくりしたかった。
そんな自分を変えたかった。なんにもできない弱い自分、それが自分だと信じたくなかった。がんばれば、努力すれば、誰よりも強い自分になれるはずだと信じたかった。なんでもできる、なんにでもなれると信じたかった。元気で力強い自分になりたかった。私はすべての理不尽を解決したかった。全知全能になりたかった。
世界が大嫌いだった。学校でも、家に帰っても、どこにも居場所はなかった。自分のことを認め、肯定し、受け入れてくれる人はどこにもいないと思っていた。世界の中で、自分の価値は限りもなく矮小だった。
そんな自分に耐えられなかったから、無理やり自分に価値をつけた。それが中二病の始まり。いまここにいる自分は本当の自分じゃなくて、異世界にいた自分が本来の自分なんだ。いまここにいる自分は仮の姿で、一時的にこんな暮らしを送っているだけなんだ。そう本気で信じ込んだ。だから死なないでいられた。
大嫌いな世界の中で、勉強して、偉くなって、認めさせてやる。権力を持って、こんな世界なんてすべて壊してやる。それからめちゃくちゃ勉強した。本当にたくさん勉強した。
でも勝てなかった。教科単体では1位になれることはあっても、総合順位では一度も一番になれなかった。毎回上位争いに食い込めても、一番になれる日は来なかった。
私は自分を褒めなかった。なにをやっているんだお前はと自分を罵倒し続けた。一番じゃないと意味がなかった。95点が取れても、100点の1位がいるなら意味がなかった。私は世界を壊す力がほしいのに、こんな狭い学校の中ですら一番になれないなんて、私はそんなものじゃないはずなんだ。
勉強して、勉強して、勉強して、あるときにふとどうでもよくなった。折れた。どうせ勝てないし。意味がない。
勉強がどうでもよくなったあとは、それまで以上に生徒会活動にのめり込んだ。先生の好印象を得るためと、権力を得たいという願望由来から続けてきた生徒会役員。でもそれも「教師からのいじめ」で奪われた。
もうこの学校にはなんにもなかった。通っても意味がないとしか思えなかった。「こんな高校に通うくらいなら自分で勉強してやる」、そう啖呵を切ってやめた。それも嘘じゃない、嘘じゃないんだけど、本当の本当はただもう通う体力がなくて逃げただけだったと、私自身はよく知っている。
思えばあれから、逃げ続けた人生だった。
幾度も挑戦はした。諦めていなかった。私は何者かになりたかった。ここで勝てなかったから次はあそこ、ここでも勝てないから次はあっち。場所を変え、ジャンルを変え、なんとか勝てる道を探そうとした。向いている道は他にあるのだと自分に言い聞かせた。「これはチャンスだ!」「今度こそ行ける! 私は勝つ!」、そう何度も思った。結局ただの1つとして、私は勝てなかった。
問題だったのは場所じゃない、ジャンルじゃない。適性の問題じゃないんだ。なにもかもぜんぶ、私に続ける体力がないのがわるい。勝てるまで続ける体力がないのがわるい。たとえゴールが目前でも力尽きて動けなくなる、私の体力がないのがわるいんだ。
元気なときに気合とともに始めたことを、元気じゃなくなったときに続けられなくなる。どこへ行ってもひたすら同じ幕切れを繰り返した人生だった。別の場所で勝つための転換だと思い続けた選択の数々は、実態すべて「逃げ」だったんだ。
「努力する才能」というものがあって、それはきっと各分野ごとの才能があるかないか以上に遙かに重要なものなんだ。それがない私は、どこへ行こうとなにをしようと結局勝ち切ることができない。このことにようやく気がついたのが2020年だった。「身の程」というものを、いままでの人生で一番実感する年だった。
自分自身に見切りをつけたから、この人生は敗戦処理だ。
「人生は何度でもやり直せる」「いつからでもどこからでも、なんでもできるし、なんにでもなれる」、それはその通りだと思う。私がいまいるような場所からでも、いくらでもやり直すことはできるんだろう。
でもね、人生は何度でもやり直せるけど、いまいる場所からやり直す体力を持ち合わせているかどうかというのは別問題だ。やり直せばやり直せるでしょう。いまから最強の自分になることもできるでしょう。やればできるでしょう。当たり前だ。でも私にはその体力がないんだ。
私はずっと、自分に体力がないことを見て見ぬふりをしてきた。そんなはずはないと思っていた。やればできるはずだと信じたかった。
そのスタンスが結果として、私を追い詰めた。無理をしてさらにおかしくなった。やればできるはずだと信じているから、いつも高く飛ぼうとして踏み込んだ。ここにすべてを賭けて成功させると意気込んで、何度も何度も懲りずに持っているものすべてをベットした。
勝てなかった。失った。高く飛べずに落ちた。賭けたものは返ってこなかった。ただ心が擦り切れていくだけだった。
もっと早く、私は私自身の性質と限界を受け入れて、体力がないなりのゆっくりとした暮らしを目指して舵を切るべきだった。負けていてもいいから、低等で質素でいいから、ただ静かな暮らしを目指すべきだった。
負けを認めたくなくて、悪手を打ち続けた。あがき続けた。後戻りのできない、選択肢を狭める道を選び続けて、人生が少しずつ袋小路に追い込まれていった。
気づいたころには遅かった。いまの私には、「ただゆっくりした暮らし」を手に入れることすら遠い。もっと早く気づくべきだったんだ。
物心ついたころの自分に、手紙を書いて教えてやりたい。お前の人生は好転しない。生まれ育ちには逆らえない。高く飛ぼうとして、着地できなければ怪我をする。諦めろ。受け入れろ。身の程を知れ。
もうすべてを諦める。もうすべてがどうでもいい。
私だって勝ちたかった。勝ちたかったときは「自分に誇れる自分」が座右の銘だったのに。すべてどうでもよくなってしまった。自分が理想の自分からどんなに遠ざかろうがもはやどうでもいい。誰にどう思われようが、どこでどう言われようが、名誉も矜持もなにもかもすべてどうでもいい。
そんなものに意味はない。人生に意味はない。
意味のない人生の中で、楽しもうとすることによって楽しめることがあるだけで、すべてに意味はない。楽しいと思えることだって、どれも楽しもうとするから楽しいだけで、楽しもうとしなければ楽しくはない、欺瞞に満ちたものだ。
楽しむこととか、楽しみを得るためにがんばることもインスタントでしかなくて、意味がない人生を一時的にごまかすものでしかない。ごまかし続けて生きているだけだ。気がつかないように。我に返らないように。生きている間のどんな行動も、本質的には酒を飲んで気を紛らわすのと同じだ。
生きていることに意味はない。生きているから生きているだけだ。夢も目標も希望もなく、大切なものも人もなにもかもがない。ほしいものはあるにはあっても、「あったほうがいいなぁ」程度のささやかな気持ちだ。喉から手が出るような思いなんてなんにもない。突き動かされる情熱などどこにもない。すべてがどうでもいい。
どうせ生きているなら極力不快じゃない暮らしがしたいけど、不快を減らすためには不快なことをしなければならない。ただ呼吸をするためだけにお金が必要だ。稼がないといけない。働かなくちゃいけない。どうしてなんだろう。生きていたいわけでもなくて、ただ生きているから生きているだけなのに。
こんなゴミみたいな、なんにもない、どうでもいい人生を、意味がないということを、酒や受動的コンテンツを摂取して、自分自身をごまかし続けることを寿命までずっとしなければいけないらしい。気が遠くなる。人生ってなんなんだろう。生きるとはいったいなんなんだろう。意味がないと知っていても問いたくなる。
人生どうしてこうなっちゃったんだろう。そう問いたくなる。だけどそのセリフは意味的にはため息と同じようなものだ。自分の人生がどうしてこうなってしまったのかは、誰よりも自分自身が一番よくわかっている。
2021年の、もしかしたら今後の人生ぜんぶのスローガンは「敗戦処理」。がんばらない。無理はしない。もう痛い思いはしたくない。その結果なにも手に入らなくても、それでいい。ものも立場も極力持たずに、いつ終わってもいいように過ごそう。その中で、がんばらなくても生きていけるような日々をなんとか模索していきたい。
人生をすべて諦めたあとはどうなるのか。もし私へ興味がある酔狂な人がいるなら、その末路の観察をお楽しみください。
これが私の「隠居」。
ここからぜんぶ敗戦処理。
表題の業務の関係で私を知ってくださっているかたもいらっしゃいますので、以下本記事にてご報告させていただきます。
私事でございますが、このたびアーティストマネジメント/サポート業, およびライブイベント制作業の一切を廃することといたしました。
それに伴いまして、私と株式会社harvestの間での契約も終了となります。夜明あおいのマネジメント担当につきましては、同社内へ引き継ぎいたします。以降夜明に関する新規のお仕事のご連絡は yoakeaoi@hvt-inc.com までお願いいたします。
ただ私という裏方が1人抜けるだけでございます。私よりもスキルも経験も豊富な面々が担当となりますので、夜明の活動につきましてはご心配いただくような事柄はございません。どうか夜明へこれからも変わらぬご声援をいただければ幸いに存じます。
取引先の皆様, そしてお客様、私が本事業の関係者であるがゆえに私のSNSなどをフォローしてくださっていたかたもいらっしゃるものと思います。以降私が本事業関連の発信をすることはございません。有益な発信がなされることはございません。私は元より、SNSは気軽にフォローし、気軽にフォロ―を外しながらコンテンツに触れて遊ぶものと認識しております。どうか何もお気になさらず、フォローを解除していただければと思います。私は何も気にいたしません。
以下は私事の中でも特に個人的なお話。撤退の理由は大別して2つです。いずれも私個人しか関わりのない、極めて個人的な理由です。
1つ目は採算の深刻な悪化。私はこの業界に入って以来、別事業で収益を上げ、その余裕を用いて本事業に取り組む体制を続けて参りました。
これは本事業は私にとって「がんばっている人の助けとなりたい」ゆえの取り組みであったためです。私が利益を得るよりも、より演者さんの力になること, よりよいイベントを催すこと, よりお客様に楽しんでいただくことにお金を使いたいと考えておりました。もちろん事業を継続するためには収益が必要ですが、目的としては第2・第3以降の位置に置いてこれまでやってきました。それが私にとって大切なことでした。
しかし感染症の流行により、この体制は無に帰しました。本事業にて赤字が生まれたのみならず、支えとなってきた別事業においても多大な影響を受けることになりました。柱の崩れた状態で、コストを費やしたい, 費やすべきである本事業を続行することは現実的に困難を極める状況にあります。
2つ目は、まとめるならば、自分自身の限界を悟ったため。
才能を感じたアーティストのマネジメントを担当することになったとき、これはこの業界での最大で最後のチャンスだと思いました。ここで私の真贋が試されるのであり、ここで結果を出さねばならない、この千載一遇の機会を活かせぬようならばそれは私に可能性がないということだ。そう思いました。
あれからの2年間、マネジメント担当者として、自分の思うような望むような成果は生み出せていません。もちろん担当アーティストはいつでも輝いていましたが、担当アーティストが持っている力に対して私の実力は不十分なものでした。私にもっと力があればできることはたくさんありました。感染症の影響もあるでしょう、 感染症によって思うように動けなかった要素も多分にあるでしょう。ただそれは結果に至るのを早めただけだと感じています。遅かれ早かれ、私は同じ結論にたどり着いていたのでしょう。そう感じるのです。
現実的に継続不可能であり、私ももうここまでかなと思っている。だからここで終わりにすべきだと判断しました。
同じタイミングで契約をした夜明へ大きな助けをしてあげられなかったことは、夜明にも夜明を見ていてくださっている皆様にも申し訳ない気持ちでいっぱいです。でもきっと、私がこのまま続けて担当するよりも、別の未来のほうが明るく楽しい未来になる。そう考えながら、この引き継ぎを行いました。
元々まったくの別業種での経験しかなかった中で、初めてこの業界に入った2017年。あれから今まで、とても多くのかたに助けていただきました。何もわからないところから始まった私は、たくさんのご迷惑をおかけしながら、たくさんのあたたかいご協力のおかげでここまで続けて来られたと思います。
制作したライブは我が子のように大切でした。お客様の背中が好きでした。自分が関わったイベントを思い切り楽しんでくださっているお客様の後姿が好きでした。用意したステージで、素敵なパフォーマンスをしてくださる演者の皆様が好きでした。もちろん仕事である以上、大変なことだってあります。だけどあの瞬間は、「やっていてよかった」という感情が強く湧き上がってくる。幸せで、皆様が楽しそうであればあるほど私も楽しかったです。
夜明はもちろん、関わってくださったすべての演者様が、RISES; 上昇してくださいますことを。益々ご活躍されますことを。これまでより少し遠くから、端っこから、こっそりと見ています。
これまでに賜りましたご厚誼に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
今後とも夜明あおいへお力添えをいただけますと幸いでございます。
Yokokura Yui