2023/01/02

2023「役に立たない」

睡眠

書くことがない。

そりゃそうか。1年間寝ていただけだから。

ほぼ毎回気絶だし多相だしで、自分でもどのくらい寝ているのか正確には把握できないけど、最低で見積もっても365日のうち半分以上の日は18時間寝ていたと思う。

1年間毎日8時間睡眠をしていた人と比べると、起きている時間が1,825時間は短かったことになる。これを「24時間 - 8時間」で割ると114日。私の1年は、多数派の生活と比べて3か月以上短かったらしい。そりゃ書くこともないだろう。

だから2022年を振り返っても特になにもないのだけれど、相変わらず生きる意味についてずっと考えていた。2021年もずっと生きる意味について考えていた。こいつ生きる意味についてしか考えてないな。

世の中には「生きる理由」が溢れている。でもそのどれを聞いても、それは「生きる理由をごまかすもの」であって、「死なない理由」にはなりえても「生きる理由」ではないように感じる。この2つは近いようで全然違う。求めているような、納得できるような言葉に出会えたことはまだない。

生きることに意味も理由もないなんてことはわかっているんだよ。意味があって生まれてきたんじゃなくて、ただ生まれてきただけだから。そこに意味があるわけがない。でも意味がないのならどうして生きているんだろうと思うし、考えることをやめられない。

生きてしまったせいで「なぜ生きているのか」が必要になるのは、まるで循環参照のようだと感じる。グルグルグルグル回っても、結局答えなんてないんだろう。そう思いながらも、もうずっと考えている。

本当に、歳を取ってもなんにもわかるようにならない。わかっている気になっていたことを、わかっていなかったんだとわかるようになるだけだ。なにもわからない。なにもわからないことがわかっていること以外は、私にはなにもわからない。月日が経つほどにそのことを実感する。

これまでの人生で、本当にたくさんの間違いを選んできたなと思う。どうしてあんなに間違えることができたんだろうと不思議になる。クリティカルな場面での間違いを、何度も繰り返した。間違いに続けて間違いを選ばなければここへは来られなかった。その積み重ねにじわりじわりと追い詰められて、いまの私がある。

振り返ると「正しい道を選択したい」意識が一番強かった頃に、一番たくさん間違いを選んだように思う。

どうしてあんなに「正しく」生きようとして、どうしてあんなに「正しさ」に固執していたのか、わかっているんだけどね。自分に価値を見い出したかったんだ。他人からも自分からも認められていなかった、無価値な自分に。

正しくあろうとしなきゃ、勝とうとしなきゃ、自分に価値を認められなかった。だから正しさを求めてしまった。

私は過去に「今後誰のためであれ、何のためであれ、自分のためであれ、『魂を売る』ことはしないで生きていきたい」なんて書いている。でもこいつはその後の人生で3億回は魂を売っている。

自分のため、誰かのため、心の中でいろいろな言い訳をしながら。従いたくないときに従って、飲み込みたくないときに飲み込んで、頭を下げたくないときに下げてきた。それが「正しい」と判断したから。本当に信用できないやつだな。

いつも正しくあろうとした結果、いつも大切にすべきものを手放してしまって、いつも距離をとるべきものを抱え込んでしまった。そんな人生だった。正しくあろうとする必要なんてなかったのに。

もっと、ただそのとき楽しいと感じる選択や、いまその瞬間のことを考えての選択をしてくればよかったなって思う。きっとそれでも人生なんとかなったんじゃないかな。なんとかならなかったとしても、それなら「楽しかった」が残る。少なくとも私が来た道よりはマシだったんじゃないか。

ずっと先のことを考えて、段階を逆算して、自分で長いレールを敷いて。正しさのためだ、将来勝つためだと言い聞かせて無理をして。そうして結局うまくいかなかったときに残るカスのようなものよりも。

正しくあろうとすることで、私は自分の命を守ろうとしたのだろうと理解はできる。だけど、正しいか否かで判断しようとしていたことがそもそもの間違いだった。いまはそう思う。

1年間寝ていただけだから、2022年への命名といってもなにもない。あえて言うなら「睡眠」とかになる。それしかないだろう。

役に立たない

希望があったほうが生きやすいんだろうけど、希望がある状態に戻りたくないなとも感じている。希望がある状態のほうが正気じゃない。それは自分自身をごまかして思い込みによって持てるものだから、正気じゃない。希望を持ってしまったら、間違えてしまう気がする。

最近は「絶対に何の役にも立ちたくない」とよく思う。社会の役にも、人の役にも、何の役にも立ちたくない。生産性のある存在になりたくない。私は役に立つために生まれてきたわけでも、役に立つために生きているわけでもないんだよ。抽象的になりたい。

理由は自分でもまだよくわからない。でもなんとなくそれがすごく大事なことのように感じているから、とりあえず大事にしてみようと思う。

もうすでにスローガンもへったくれもない生きかたになっているけど、あえて2023年のスローガンを立てるとしたら「役に立たない」かな。

あとは「なにも変えようとしない」ことを意識したいな。世の中とか、他人とか、組織とか、変えようとしない。無理だから。怒ったりとか啓蒙しようとしたりとか、ついしたくなっちゃうんだけど。物心の原点が怒りだから、つい怒りたくなっちゃうんだけど。やめたほうがいいし、したくないなぁと思う。疲れるだけだ。変えられないんだから、だったら別のことしてたほうがいいよ。

こんだけずっと隠居隠居言っているのだから、いい加減穏やかになりたいよね。

単に生きているから生きているだけで、苦労してまで生きるようなものでもないと感じる。ここのところ、預金残高が人生のHPであるみたいな感覚があるんだよね。それがなくなったらこのゲームをやめればいいだけだからそれでいっかみたいな。崖から落ちるまでてきとーに踊るよ。

ま、これまでで一番、今日という苦手な日を迎えても別になんともないなって感じがするな。週が変わったくらいと同程度の区切り感しかないっていうかね。よくもわるくもなんともない。無味乾燥だね。

とりあえずまず睡眠を治さないことにはなんにもまともにできないんだけど、2023年の1年間を掛けても治せるものなのかわからないね。自信はあまりない。自らについて自信があるところなんて、性格のわるさと、人を見る目のなさくらいだ。

たぶん過去一で書きづらい書き初めだった。1年間寝ていただけだから。